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​「KGKスピリットを、一言で。」

そういわれたら、きっと「KGKが大切にしていること」と答えるでしょう。約70年前、早稲田大学で神様によって起こされた小さな祈祷会から今日まで、KGKが大切にし続けてきたもの。そしてKGKの軸となり、道標となっているもの。それがKGKスピリットだと思います。KGK運動は全国に広がっていますが、学生によって、学校によって、地区によって、活動の様子は違います。しかしどんな状況においても、以下のスピリットを持つとき、私たちは同じ「KGK運動」をしているのです。

―派遣意識―

これは、「私たちは神様に遣わされている」というスピリットです。神様が私たちを造り愛してくださっているということを噛み締めます。「~しなきゃ」という義務感から解放され、救われ赦された喜びを原動力に、自分が「今」「ここ」に生きている意味を積極的に受け止めます。

―KGKの三本柱―

​〈福音主義〉

これは、「聖書は誤りなき神のことば」と信じるスピリットです。聖書を読んで、そのストーリーに触れ、歴史に働くダイナミックな神様に出会います。そして、イェス様の生き方に出会います。聖書を「誤りなき」と信じるとき、私たちは力を得ます。聖書のストーリーと自分の日々のストーリーが重なり、そこに示された生き方を自分もしたいと思わされるのです。聖書のことばに権威を認め、日々の出来事を聖書に立って考えていきます。

​〈学生主体〉

これは、「神様のことを伝える主体は、私たち自身だ」というスピリットです。KGKにおいて、その学校などの遣わされた場所で、主事など以上に学生自らが神様のことを伝えるものとなってゆこう、という姿勢です。自分が「宣教の最前線に立っている」ということをいつも覚えて、KGKの組織的な運営も自主的に行いつつ、何より宣教の主体をになっていきます。

​〈超教派〉

これは、「教派の違いを積極的に考えよう」というスピリットです。たくさんある教派の中で、「同じ神様を信じているのになんで?」と悲しくなってしまうこともあります。そんなときに、このスピリットは新しい「教派」のイメージを与えてくれます。教派の違いを、見て見ぬふりをするのでも、腫れ物扱いするのでもなく、「多様性」として尊び、喜びます。互いの抱える課題に目を開かれ、互いの持つ豊かさに目を向けます。単純に違いを超えるのではなく、教派同士で協力していく。このスピリットが「協教派」とも呼ばれるゆえんです。

―全生活を通しての証―

これは、「月曜日から土曜日も、キリスト者として。」「学校でも家でもどこでも、キリスト者として。」というスピリットです。すべてのスピリットの行く先は、この生き方です。賛美歌を上手に歌えるようになることや、クリスチャン用語がわかるようになることや、お祈りがうまくなることではなく、毎日の生活を「キリスト者」として歩むこと。家族のために祈ったり、友達の相談に耳を傾けたり、一生懸命勉強したり、ご飯をうまい!と言って食べたり。日々の生活を「キリスト者」として歩むことが、このスピリットです。

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KGKスピリット

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